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2.飛鳥の朝廷

蘇我氏と物部氏の対立

安達吟光:「大日本史略図絵」
七:守屋大連怒て仏像を難波の江中に投ず
明治18年(1885年)
中判錦絵

安達吟光:「大日本史略図絵」
八:聖徳太子守屋が軍に追はれて椋木へ隠るる図
明治18年(1885年)
中判錦絵

月岡芳年:「大日本名将鑑」
厩戸皇子 守屋大連
明治12年(1879年)
大判錦絵

仏教の信仰問題に端を発した蘇我氏と物部氏の対立は、ついに両氏による戦争へと発展しました。

蘇我馬子(そがのうまこ)と共に崇仏の立場をとっていた厩戸皇子(うまやどのおうじ:聖徳太子)は、
物部守屋(もののべのもりや)を倒し、守屋の所領に四天王寺を建立したとされています。

乙巳の変と大化の改新


鈴木年基:「地球全界 雷名鏡」
中大兄皇子 藤原連鎌足
佐伯子麻呂
蘇我入鹿 稚犬養綱由
明治11年(1878年)
大判錦絵
月岡芳年:「大日本名将鑑」
大兄皇子 中臣鎌足 入鹿大臣
明治12年(1879年)
大判錦絵
聖徳太子亡き後、権勢を欲しいままにし、皇位継承に関しては
太子の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)を殺害するなどした
蘇我氏の筆頭である蘇我入鹿(そがのいるか)は、
皇極天皇(こうぎょくてんのう)の4年(654年)宮中にて、
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)によって殺害されました。
これを「
乙巳の変(いつしのへん)」と言います。

その翌日、入鹿の父である蝦夷(えみし)は邸宅に火を放って自殺し、
ここに宗家の蘇我氏は滅亡しました。(※ただし蘇我氏自体はこの後も存続しています。)

なお、蘇我氏の滅亡から、孝徳天皇の即位までの一連の流れを世に「大化の改新」と言います。

持統天皇

歌川国芳:「住入百人一首」
持統天皇
弘化ごろ(1844〜48年)
小判錦絵

持統天皇(じとうてんのう:645〜703)は、天智天皇(てんじてんのう)の娘として生まれ、
その後、父の同母弟である大海人皇子(おおあまのおうじ)の妃となり、
草壁皇子(くさかべのみこ)をもうけましたが、天智天皇が晩年になり、
皇位継承上の問題から大海人皇子との仲が悪化すると大海人皇子は宮中を辞し、
天智天皇が死去すると、夫と共に吉野へと逃れました。

壬申の乱(じんしんのらん)が終結し、大海人皇子が天武天皇に即位すると、皇后となり、
天皇没後には、姉である大田皇女(おおたのひめみこ)の皇子、大津皇子(おおつのみこ)に
謀反の嫌疑をかけて殺し、自分の息子である草壁皇子を天皇にすべく皇太子としましたが、
草壁皇子は即位する前に早世してしまいました。

その数年後に、自身が女帝として飛鳥の浄御原(きよみはら)宮で即位しました。


そして、694年には既に造営に着手していた藤原京へと遷都を行い、
また697年に、草壁皇子の遺児である軽皇子(かるのみこ。後の文武天皇)を15歳で立太子させ、
同年に譲位し、自らは天皇の後見に努めました。


春すぎて 夏來にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天のかぐ山 【百人一首】より

柿本人麻呂

歌川国芳:「住入百人一首」
柿本人麻呂
弘化ごろ(1844〜48年)
小判錦絵

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ:660年頃〜720年頃)は、飛鳥時代〜奈良時代初期の歌人です。
三十六歌仙の一人に数えられ、山部赤人(やまべのあかひと)と並ぶ歌聖とも称えられてます。

当初は草壁皇子に舎人(とねり)として仕えましたが、後に各地を転々とし、
最後に赴任先の石見国(現在の島根県西部)で亡くなったとされています。

また、名前こそは有名ですが、経歴が史書にも書かれていないため
不明な部分が多く、「万葉集」が唯一の資料となっています。

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 【百人一首】より

 

1.神話から伝説の時代へ 3.奈良の都 4.源平の盛衰 5.南北朝の動乱
6.戦国の世 7.江戸から明治へ 8.演劇・文芸作品に見る奈良・大和 「浮世絵」に戻る

 

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